米女子ゴルフツアー、藍が涙の初V

◆米女子ゴルフツアー エビアン・マスターズ最終日(26日、エビアン・マスターズGC=6373ヤード、パー72)藍がプレーオフを制し、涙の初Vを決めた。首位と1打差で出た宮里藍(24)=サントリー=が5バーディー、2ボギーの69で回り、ソフィー・グスタフソン(スウェーデン)と14アンダーで並びサドンデスのプレーオフに突入。最初のホールでバーディーを奪い、米ツアー日本人史上6人目の優勝を、史上最年少で達成。本格参戦4年目、83戦目でついに初勝利を挙げた。

 4年分の涙があふれた。グスタフソンとのプレーオフを制し、藍がついに米ツアー勝利にたどり着いた。最初の18番で1メートルのバーディーパットを沈め決着をつけ「遠回りじゃなかった。4年はあっという間。それが私の初優勝への時間の進み方だっただけ」。上田、宮里美、有村ら後輩にグリーン上で祝福されると、それに応えるように「イエス!」と絶叫。両手をエビアンの空に突き上げた。

 樋口久子岡本綾子、小林浩美、福嶋晃子、平瀬真由美に続き日本人史上6人目となる米ツアー制覇を目指し、首位に1打差からスタートした最終日。前半8、9番で連続バーディーを奪い首位ターンを決めると、11番では8メートルのバーディーパットを沈めガッツポーズ。最終18番で4メートルのバーディーパットを沈め、14アンダー。2位に1打差をつけホールアウトした。プレーオフに備え、黙々とパッティンググリーンで練習に集中した。グスタフソンのバーディーパットが入ると、耳をつんざくようなギャラリーの悲鳴と歓声。その瞬間、藍の表情に力がこもった。

 2006年2月16日の米ツアーデビューから1256日。それは長く苦しいものだった。国内で挫折を知ることなく成長を続けた藍。日本中の誰もが米ツアーでの活躍を疑わなかったが、強豪ぞろいの米ツアーには試練が待っていた。

 手が届きそうで届かない優勝。07年後半からはドライバーショットが真っすぐ飛ばなくなるという、それまで経験のないスランプに陥った。あまりの不振に泣きながら大会を棄権したこともあった。フォームの映像チェックも断ち、ただただ球音に耳を澄まし、感覚を研ぎ澄ました。

 今季は14戦で予選落ちなし、トップ10入りが7度という安定感を見せている。「これまでの経験を生かして、今は100%試合に集中できている」とメンタルでの成長を実感している。自信を取り戻し、飛距離も取り戻した。以前からお尻の筋力が弱いと指摘されており、オフの間は下半身を中心にトレーニングを積んだ。その結果、スランプに苦しんだ07年に239・9ヤードにまで落ちた平均飛距離が今年は257・2ヤード。昨年から14ヤードも伸びた。

 「メジャーが控えているので、気持ちを整理して頑張りたい」。次週は全英リコー女子オープン(30日〜8月2日、英ロイヤルリザム&セントアンズGC)。このまま一気にメジャータイトルも奪いにいく。

 ◆宮里 藍(みやざと・あい)1985年6月19日、沖縄・国頭郡生まれ。24歳。レッスンプロの父、優さんの影響で4歳でゴルフを始め、ジュニア時代から活躍。注目を集めた。宮城・東北高3年時の2003年9月のミヤギテレビダンロップ女子オープンでアマ選手として30年ぶり、国内ツアー史上最年少での優勝を達成。同年にプロ転向し、日本ツアーでは通算13勝。05年はW杯で優勝。06年から米ツアーに本格参戦した。聖志(32)、優作(29)の兄2人もプロゴルファー。155センチ、52キロ。血液型B。

 ◆藍の米ツアー苦闘メモ
▽06年4月(ギン・クラブズ&リゾーツオープン)3打差2位から出た最終日に76と失速。5位に終わり号泣し、初めて試合後の取材を拒否した。
▽07年6月(ギントリビュート)最終日に日米自己ワーストの82を叩き号泣。取材拒否。
▽7月(HSBC女子選手権)マッチプレーで決勝進出も李宣和に惜敗。自己最高の2位に入るも試合後は大泣き。
▽8月(セーフウェークラシック)初の2週連続予選落ち。目を潤ませ「こんな経験はない」。
▽9月(ステートファームクラシック)最終日7番終了後に体調不良でプロ入り後初の棄権。
▽11月(ミズノクラシック)8か月ぶり日本で78人中68位。最終日は出だしの10番以外はドライバーを封印するなど、深刻なスランプ < スポーツ報知 - 2009/7/27 8:01>