手相の話

今日は夕方から雷を伴った激しい雨が降るという天気予報。
昼過ぎ、友人から今夜は妻が夕方から出かけるから夕飯がないから居酒屋で一杯やろうという誘いの電話があった。
 約束の六時に行きつけの居酒屋に行く。この時はまだ雨は小降りであった。
8時半に居酒屋を出るときは土砂降りの春の嵐。友人は家に帰ったが、私はどうもまっすぐに帰宅する気にならず、家の近くの居酒屋にハシゴすることにした。その居酒屋にたどり着いたときにはズボンはずぶ濡れであった。
 店の扉を開けるとお客が一人、女将と話していた。
 このお客は以前にこの店で1度見掛けたことがある。八十才前だが元気で話上手な老人である。
 私は芋焼酎の湯割りを飲みながら老人の話に耳を傾けていた。すると突然、私に向かってお客さんは良い人相をしていると言い出し、手相を観てやると言う。
 私は断ると女将が、
「この方も手相を観られるよ」と、よこ船を出してくれた。
 その時、私はカウンターに出していた左手を引っ込めようとした拍子にいきよいよく湯割りのコップに当たり、少し乾いていたズボンに振りまいてしまった。
「わしはこう見えても癌じゃ」
「どこの?」
前立腺じゃ」
 そう言えば、以前もそんな話をしていたことを思い出した。そして検査の時のことを面白可笑しく話していた。
 私の手相をよほどこの老人は興味があるのか、忘れた頃にまた、催促してきた。私は観念して両手を差し出した。老人は左右の手のひらを観ながら、この人は金運があるといいながら、左手の手相に集中しだした。う〜ん金運はあるといって、少し戸惑った様子。
「まあ、悪いこともズバリ言うが、気に障ることは気にしなかったらよいから」といいながら後の言葉が出てこない。
しばらくして、また「金運は確かにある」という。そして私の顔を観て良い顔相をしているとも言う。今度は私の手のひらに人差し指と中指を指して何か聞き取れない呪文を唱え始めた。
「あなたの歳は知らないが、五十九か六十の頃に大きなことが起こる」と言って、また戸惑っている。
 私は六十一、すでにその年齢は過ぎている。しかし、このことは当たっている。昨年の正月に左足の膝蓋骨を骨折した。
 老人が最も戸惑っていることにヒントを与えてやった。
「私は三十半ばで一回死んでいますから…」
「それで納得がいった。短命線が出ているのにと思って悩んでおった」
「じゃ、こんどはこう言いたいでしょ。あなたの家系は絶えると」
「そのとおりじゃ」
 と言って、老人は垂れかかった水ばなを手の甲で拭い、もっと詳しいことを話してあげるからトイレに立った。
 前立腺のためかしばらくしてトイレから帰ってきた。どんな詳しいことが老人から聞けるかと期待していたが、詳しいことを聞かせてほしいと催促しても、それからは手相の話は一切しなくなった。

(了)