七福神とは?

宝船に乗っている七福神はおなじみですが、この七福神信仰はいつの時代から始まったかというと、室町時代末期頃に京都で始まったと言われている。この時代は応仁の乱で代表されるように戦乱の時代、武士だけでなく庶民も幸せを願った。またこの頃から商業の形ができあがってくる。そんな中で福の神信仰がはやり始め、そんな背景の中で七福神が生まれた。

 元々、七福神恵比寿大黒天の二神から始まっている。この二神信仰は現在も続いている。この二神に人気の高かった弁才天という女神が加えられて三神になった。ところが実際は弁才天の前に天細女命(お多福)がメンバーに入っていたが、京都では弁才天のほうが人気があり、不人気の天細女命に代わって弁才天七福神の紅一点の座にすわったと言うわけ。三神でも物足りないと思ったのか毘沙門天を加え、さらに四神では縁起が悪そうなので布袋和尚を加えて五福神にした。これが江戸にも広がり始めた頃、五神に福禄寿寿老人を無理やりに加え、七福神を誕生させた。なぜ七福神にしたかというと、仏教経典の「七難即滅七福即生」にちなんだとか、中国の「竹林の七賢」にちなんだとかいわれている。そして、徳川家康の政治指南役天海僧正による、七福神信仰の奨励により七福神にちなんだ寺院を巡る「七福神めぐり」として江戸時代に全国的に広がる。
 
恵比寿七福神の中で唯一の日本の神さまで、「海の神さま」あるいは「漁業の神さま」である。ところが農民の間では、田の神、山の神としても信仰され、春に山の神が里に降りて田の神となり、秋に山に帰って山の神となると信仰され、「豊作の神様」となっていく。
恵比須さんの釣竿を持ち鯛を抱えている姿は網を使って一気に漁をするのではなく、「暴利をむさぼらぬ清廉の心を象徴」しており、商売の神様、商売繁盛の神様になった。

大黒天―元々はヒンドゥー教シヴァ神の化身であるマハーカーラで青黒い身体に憤怒相をした仏法を守る護法善神である。密教の伝来とともに、日本にも伝わり、神道大国主神仏習合した日本独自の大黒天が出来がった。当初は破壊と豊穣の神として信仰されるが、後に豊穣の面が残り、食物・財福を司る神となった。

弁才天―琵琶を持った容姿端麗な女神で音楽の神、弁舌の神(知恵の神)。弁財天とも書き、財産の神としての性格も加わった。

毘沙門天持国天増長天広目天と共に四天王の一尊に数えられる武神である。別名、多聞天とも呼ばれ、知恵の神様としても信仰されている。

布袋和尚―9〜10世紀頃の中国唐代の禅僧契此(かいし)で、常に大きな布袋を担いで喜捨を集めて回ったため、布袋和尚と呼ばれるようになり、大きな腹をして福福しい顔をしていたので、神格化され福徳の神となった。

福禄寿道教で強く希求される3種の願い、すなわち幸福、封禄、長寿の三徳を具現化したもの。

寿老人―酒を好み頭が長く、白髪で赤い顔をした長寿の神。寿老人は不死の霊薬を含んでいる瓢箪を運び、長寿と自然との調和のシンボルである鹿を従えている。手には、これも長寿のシンボルである不老長寿の桃を持っている。