俳優の佐藤慶氏が亡くなる

肺炎の為、5月2日になくなった。好きな俳優の一人だった。
佐藤慶についての詳細(ウィキペディアより
佐藤 慶(さとう けい、1928年12月21日 - 2010年5 月2日)は、日本の俳優、ナレーター。福島県会津若松市生まれ。本名は佐藤 慶之助。
福島県会津工業学校卒業後、会津若松市の職員を務めるかたわら、地元で結成した新劇愛好会で演劇に打ち込むが、会の発表会の日に無断欠勤をして役場を免職されたという「根っからの新劇人」ぶりが高じ上京。俳優座養成所から俳優人生をスタートする(俳優座の第4期生の同期には仲代達矢佐藤允中谷一郎宇津井健などがいる)。

1955 年以降、大島渚監督の一連の作品をはじめ、映画、舞台、テレビドラマで存在感のある悪役などを演じる。その無機質な風貌を生かし、屈折した性格の悪役を得意とし、社会派作品から時代劇・ヤクザ映画まで、様々な作品で総合的性格俳優として活躍する。

1965 年、『鬼婆』でパナマ映画祭主演男優賞。1971年、『儀式』『日本の悪霊』でキネマ旬報主演男優賞を受賞。1967年のテレビドラマ『白い巨塔』では、田宮二郎の野心的な雰囲気とは違った暗くねじれた個性を前面に出した財前五郎役を好演した。

また、低く泰然とした声でのナレーションも人気があり、1970年代から1980年代にかけて日本テレビで放送された科学ドキュメンタリー『知られざる世界』のナレーターを担当した。

1981 年『白日夢』で武智鉄二監督の演出のもと愛染恭子と本番行為を行い、一躍話題になった。近年の代表作にはNHK連続テレビ小説『ほんまもん』、大河ドラマ風林火山』がある。かつては月刊誌『噂の真相』を愛読しており、創刊準備号から最終号まで1号も欠かさず読みつづけたという。

また、下積み時代の生計を支えてくれたガリ版への感謝を忘れず、有名になってからもガリ版用具を大切に保管していたという謙虚な一面も持ちあわせている。

2010年5月2日、午後4時19分、肺炎のため都内の病院で死去した。